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カテゴリ:ドイツ・オーストリア話( 10 )

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2007年 02月 09日
ドイツ オーストリアの建物
今までに訪れたヨーロッパの国は
オランダ、ベルギー、フランス、スペイン、イタリアと
今回ブログアップのドイツ、オーストリアなのですが
ヨーロッパの建物は とても古くて 興味深いものばかりです
その中でも ドイツ、オーストリアで面白いとおもった建物を 紹介します

オーストリア インスブルグ市内広場の飾り建物です
デコラティブな飾り窓をもつ この建物は 特に古かったです
ここまで装飾を施した建物゙には このとき以来まだ 出会っていません
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オーストリア オーバーアマガウの街には建物の壁に
壁画を書くのが普通です
この写真の建物は新しい壁画でした
古くなったら 書き換えるそうです
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これは とても 観ていて楽しい建物です

ザンクトウォルフガングにあるオペレッタ「白馬亭」の舞台になった
ホテルです
小さなホテルですが 入り口の白馬が目印です
窓に一杯のお花が飾ってあるのは いかにもヨーロッパ的です
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オーストリア ディンケルスビュールでみた6階建のレストランです
とても古い木造の建物なのです
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地震の多い日本じゃ 絶対不可能な 建物ですね
中に入るチャンスがなかったのが 残念です

余談になりますが・・・・・
建物が面白いと思った国はオランダもそうでした

海よりも低い国土のオランダでは海の水との戦いです
風車は 穀物を粉にひくためだけでなく
排水の役目のものもあるのです

建物の建て方も面白いです
その 柔らかい土地に丸太をうちこんで
地面を補強して その上に3階建て以上の建物を作ってきました
アムステルダムを訪れると そうやって建てられた建物が
少し傾きながらも 個性豊かに 今も健在です
ここが首都だと思えないくらい しっとりとクラシックです

そういう雰囲気を残すために
新しい建物を建てる時は 壁がオレンジ系屋根は茶色系と決められていて
その色合いが微妙に違って町並みがとっても美しかったです

長崎のハウステンボスはこの町並みを真似たのです
真似をされる美しい町並みを維持していくために
オランダは厳しい建物規制をひいているのです

海面より低い土地に暮らす人々の智恵に溢れた
町つくりを感じます
そしてそれが 観光の原資となっています

また ローテンブルグのあの美しい町並みは
神聖ローマ帝国時代に交易自由都市として発展して
ほぼ14世紀に完成しました
しかし
ドイツの近代化の波から 経済的基盤がなにもなかったために 
取り残され 開発もされず歴史的建造物が 
皮肉にも そのまま残ってしまったのです
第2次世界大戦後
市民が 町のアイディンティティを守ろうとした結果
世界の観光地になりました

こんなふうに考えていくと
建物というのは その国の風土・歴史を現しています

グローバル化した今だからこそ 保存していかなければ・・・・
ヨーロッパの国々はどこも努力しています
だから 多くの観光客を集めるのです

日本でも 無節操な開発を反省する動きがでています

京都の花見小路は 昔の風情をちゃんと残して
お茶屋さんが喫茶店になったりしています
その残し方が ヨーロッパと似ています
でも 京都のほんの一部です

先日の新聞で 京都市は町並みを少しでも保存していく方向で
市内の町屋の買取の予算をやっとつけました
いま 京都では 相続税が払えなくて町屋が売られ次々と壊され 
マンションに変わっているからです
2007年2億円の予算を計上しています
現在の保存建物は7軒だけですが
それを年30~40軒のペースで追加指定していくそうです
指定され買い取られた建物は賃貸してレストランなどにも
改装されていくというのはヨーロッパの保存のしかたと同じです
この事業がうまくいくと
今からの努力が10年先の京都の観光に
必ずやよい結果をだすと思います


なんだか ちょっと遅すぎる感じもしますが
日本の代表 京都に頑張ってもらわねば・・・・。

10回になったドイツ・オーストリア旅行ブログですが
ヨーロッパの建物について 感じたことを書いて終わりにします
次回から がらりと変わって アメリカへいきま~す
グランド・キャニオン ラスベガス ロスアンジェルスです。
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by banban0501 | 2007-02-09 09:01 | ドイツ・オーストリア話 | Comments(3)

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2007年 02月 07日
オーストリア ウイーン2
ウイーンといえばモーツアルトですから
市民公園には金ぴかのモーツアルト像があります
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この公園は とても広いですが
市民の憩いの場所になっています
地図を片手に あちらこちらと みてあるく時間がありました
迷っていると 親切に声をかけてくれます
しかも 英語で!

ウイーン ザッハ トルテは有名です
食べなくては!

写真は本場のザッハトルテです
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ザッハトルテは ウイーンのオペラ座の横にある 
ザッハ ホテルのケーキです
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このホテルの中のお店で食べました

味は 超甘です
味のないクリームをつけなければ 食べるのも苦痛です
しかも 恐ろしく堅かったです

ところで 今までの話題にしなかった
ドイツとオーストリアの食事について・・・・

まずドイツ
旅行中 狂牛病騒ぎが あって
牛の肉が いっさい出ませんでした
それで 毎日 豚肉の焼いたもの 煮込んだものが 出てきました
その皿に キャベツの酢漬けがついてきます
それから 必ず ジャガイモ料理も・・・・

同じパターンで うんざりしました

でもドイツ人は平気です

ドイツでも食費には収入の25%ほどを使います
日本人の主食であるお米の代わりに ジャガイモが
いつも20キロぐらいストックされています
これを マッシュポテトにしたりして食べます

ランチをしっかり取る国です
でも夕食は 
昼の残り物や パンとハム、ソーセージ、チーズのサンドイッチを
ビールの飲みながら食べて さっさと寝る
他のヨーロッパのように 
夜にディナーをゆっくり楽しむというのではありません
翌朝早起きして 効率よく仕事をかたずけて 
あまり無駄な生活はしないそうです
観光客だって さっさと買い物にいかないとお店の閉まる時間が
とっても早いので大変です

たまたま そういう場所にいってしまったのかもしれませんが・・・
ミュンヘンをもっとゆっくり楽しんだら違う印象だったかもしれません

そこへいくとオーストリアは違います
少なくとも ウイーンの印象は全くちがいました
食べ物はバラェティ豊かで どれも とっても美味しいかったです
夜遅くまで お店も開いているし とても賑やかでした
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写真はウイーンのシュテファン寺院前の人通りです
この寺院の周りには ブランドショップ レストラン と
本当に そぞろ歩くには もってこいのエリアです
もちろん英語でどの店もOKでした

観光客相手の路上パフォーマンスもとても多く
みているだけでも楽しいです

本屋にはいったり CDショップにはいたり
また レストランには入らずに デリカショップみたになところで
いろいろなお料理をチョイスして食べたのですが
これが 安くて美味しかったです

日本でもおなじみのブランドショップも覗きましたが
オーストリアの有名なブランド
ミヒャエラ・フライのお店はとても素敵でした
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エナメル工芸の美しさにうっとりします
スカーフと ペンダントを買いました
最近日本でもM・フライのショップをみることができますが
ウイーンが本場です

ドイツとオーストリアって深い深い関係の歴史をもっていますから
とても似ているのに
とても違う国民性をもっているようです

次回は 最終回で ドイツ・オーストリアの建物の話です
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by banban0501 | 2007-02-07 07:39 | ドイツ・オーストリア話 | Comments(2)

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2007年 02月 05日
オーストリア ウイーン1
ウイーンのシンボルは ハプスブルグ家の王宮
シェーンブルン宮殿とゆうのが正しい名前のようですが・・・・
シェーンブルグと書いてあるのも見かける
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広大な宮殿ですが ハプスブルグ家の夏の離宮です
本当の宮殿はどこにあるのかというと・・・
ちょっとわからない
それくらい このハプスブルグ家はヨーロッパ全土に
勢力を拡大していった
ドイツもハンガリーもイタリア、フランスも一時的統治していた
その領土を守るために血族結婚をくりかえし
病弱な王を生み出し 衰退していった
最後は オーストリアだけがのこったというのが
事実だとおもう

下の写真はウイーンのシェーンブルン宮殿の庭
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この強大なハプスブルグの運命を決める王である
フランツヨーゼフがこの離宮で生まれました
ハプスブルグ家の長男として厳格に育った王が
姉のお見合いの席に ついてきた エリザベートに一目ぼれして
結婚しました
それはそれは 美しい娘だったのです
この結婚が ハプスブルグの運命をきめたと言われています

でも ルートビッヒ2世と同じく 独自の考えをもつ
エリザベート皇后は ゾフィ皇太后とそりが合わず
フランツと子供を おいて
ヨーロッパ中を放浪する旅にでてしまいます

彼女の関心は いかに美しさを保つかということでした
そのためにダイエット体操に励み
牛乳風呂にはいり お顔にはパックを欠かさず
ウエスト53センチだったとか・・・
美しいといわれる娘の写真を集めたというから スゴイです
有名な彼女の肖像画の写真を拝借しました
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そんな彼女の体操道具を見るために
同じウイーンにあるホーフブルグ王宮に行きました
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この王宮の中に 平均台や 鉄棒や 様々な体操道具が
設置された部屋が ありました
そのほかにも ハプスブルグ家に伝わる
食器 置物 衣類 家具 など 素晴らしいものが展示されている
エリアもあり 本当に目の保養になりました

姉のお見合いの席についてきたばかりに 運命が狂った
自由奔放な少女は
暴漢に襲われて 数奇な最後を迎えました
その時の死顔は とても61歳にはみえず 
30代のようだったとか??で
人々を驚かせたといわれています
この伝説はすごいですが それくらい美しかったということです
やっぱり努力しないといけないようですね・・・・ 

彼女の息子孤独なルドルフは自ら王制を否定して
やがてピストル自殺をして
ハプスブルグ家を滅亡に導きましたので
彼女を我がままな王妃と嫌う人もいるとか
でも 王国が滅びたのは 時代のせいです
決して彼女のせいではないと思います

その美しさゆえに世界中の人に
今もシシィと呼ばれ 愛されています

でも
運命のいたずらを感じます

ドイツ・オーストリア・ハンガリーを治めた
ハプスブルグ家の栄光はヨーロッパを旅すると
あちらこちらで感じることができます

次回はウイーンの楽しいところを ご紹介です
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by banban0501 | 2007-02-05 08:38 | ドイツ・オーストリア話 | Comments(0)

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2007年 02月 03日
オーストリア インスブルグ モーツアルトの故郷ザルツブルグ
ミュンヘンを発ってノイシュバインシュタイン城とリンダーホフ城と
回って ドイツから オーストリアに入りました

インスブルグのスイスのチロルのような山荘で泊まりました
写真は冬季オリンピックのジャンプ台のあった丘からみた
インスブルグの街です
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この街にはハプスブルグ王朝の宮殿もあります
宮殿の外は 庶民が行きかう場所です
こういう城の建て方もあるのです
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この城の中に歴代のハプスブルグ家の人々の
肖像画が 掲げられた大広間がありその人々をみると
ヨーロッパ全体に及んでいた ハプスブルグ帝国の力を見せ付けられます

この街は建物がとっても古い古い印象をうけます
インスブルグの街にある金色の屋根の建物が有名です
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街を散策して夜にはザルツブルグへ移動しました
ザルツブルグは ウイーンと並ぶ音楽の都です
ザルツというのは塩 ブルグは城という意味です
ザルツ川から旧市街を見た写真です
小高い山の上にあるのは ヨーロッパ最大の山城
ホーエンザルツブルグ城です
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旧市街地には ミラベル宮殿や教会など様々な建物があります
ここの広場で アメリカ同時テロへの弔意を表した黒い旗が
市庁舎の建物に 掲げられていました
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さてザルツブルグの話を詳しく・・・・
ちょっと 面白いです

どうして塩の城なのかというと
この土地は古くから塩の交易で巨大な富を得ていました
街の後ろにある山からは今でも 塩が採掘されています
ケルト人の昔から 石炭を掘るように塩を掘ってきた街です
なんと掘る岩石の95%の純度の塩山があるのです
この山の採掘権を1000年にわたって 所有していたのが
大司教さまだったのです

歴代の大司教が王様なのです
政治・経済・宗教と全ての権力を握っていました
ウイーンから300キロの位置 ザルツブルグ川と山にはさまれた
周囲4キロの小さな街は 川にそって城壁をつくり
山の上に巨大な城を築き 外敵をも寄せ付けず
塩の権利で 潤い続けて バイエルン王国 ハプスブルグ王朝にも
負けすに 1800年にナポレオンに攻められるまで
1000年の独立を維持していたのです
ホーエンザルツブルグ城は実にその名の通り 塩という
白い黄金で建てられた城なのです
城の中には 本当に黄金の部屋もあります

そんなザルツブルグに1756年にモーツアルトが生まれたのです

ご存知ようにモーツアルトは文字よりも早く音符を書いたという
天才ですが
この街で 権力の中心の大司教のために
教会のミサ音楽、舞踏会の音楽を作曲し続けたのです

ザルツブルグ大聖堂はこの小さな街に16もある教会の中で
一番大きな教会で この中にあるパイプオルガンで演奏もしましたし
大聖堂のすぐ横にあるレジデンツ宮殿で貴族の前で
6歳の時から演奏会もしました

父レオポルトの英才教育をモーツアルトは
下の写真の黄色い建物のアパートの一室で受けました
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2階にある生家には 彼のつかったグラビノーバなど展示されています
小さな粗末な家でした

この粗末な家でスタートした親子は大司教に気にいられ
大司教のために曲をつくるうちに その才能が
もっともっと 磨かれて 一流の音楽家となり
ウイーンでも有名になって25歳の時に
大司教と対立しこの街を離れました

でも 
ヨーロッパ各地を訪問したモーツアルトが
最後はザルツブルグにもどりました
そのときの 家は別にあり 写真のように 立派です
36歳でなくなっています
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モーツアルトが死んだ後1800年にナポレオンに攻められて
大司教は町を捨てて逃げだし その後ハプスブルグ家のものとなりました

衰退した町はモーツアルト没後 
天才モーツアルトを記念して 音楽大学をつくり
多くの音楽家を育てました
カラヤンもここで 音楽の勉強をしたそうです
今でも多くの音楽家が演奏会を開いたりします

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上の写真のミラベル宮殿は サウンドオブミュージックの撮影にも
使われました
この宮殿の小さなホールで 弦楽4重奏をきく機会がありました
ちゃんと黒いドレスももっていって決めたつもりが
ビバルディの「四季」の演奏などもあったのに
旅の疲れで しっかりと 寝てしまったのが今では残念です

この宮殿では 音楽会だけでなく 結婚式だって挙げられるそうです

昔は塩で 今は モーツアルトのおかげで 潤っているザルツブルグです
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by banban0501 | 2007-02-03 14:31 | ドイツ・オーストリア話 | Comments(0)

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2007年 02月 01日
ドイツ 白鳥城
あまりにも有名なこの城の名前はノイシュバンシュタイン城
ノイとは新しい、シュバインは白鳥、シュタインは城のことです
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上の写真は旅行パンフでよく登場しますが
いったいどこから撮影したのかというと
下の写真の中に見える谷にかかった橋からです
私も下をみると超怖い橋から撮影しました
a0084343_14581417.jpg

この橋じたいの撮影は お城の中に入ってから可能です
城の中は撮影禁止です
ですから 上の橋の写真は 外を撮るなら
ならOKということで 撮れました

このお城を下からみるとこんな感じです
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お城の中にはいるには お城の入り口で
かなり順番待ちをします
その場所が ここです
地面をとっていないのは 
沢山の観光客の頭が写真にいっぱい入るからです
もう 城に入る順番まちの人でいっぱいです
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さすがに 世界の観光スポットです

このお城を作ったのは ドイツバイエルン王国の王
ルートビッヒ2世です
父のマキシミリアン2世が早くなくなったので19歳で王になりました
21歳の時に 婚約破棄をして以来生涯独身で城作りに没頭し
音楽家ワーグナーを熱狂的に支え 援助し続け 36歳で
叔父に王位を譲った翌日に謎の死をとげたという
歴史上まれにみる 不思議な王です

以前みたルートビッヒ2世の映画では
あのオーストリア王妃エリザベートとも かなりの親交があったように
描かれていました
どちらも 独自の人生観をもっていたために
周りの人に理解されなかったという共通点があります

お城の中には ルートビッヒ2世の寝室や 執務室や
宮殿の大広間や いろいろな部屋が当時のまま保存されています
豪華絢爛であったり質素であったりして 普通のお城と違う雰囲気です
 
白鳥が大好きな王は いろいろな形で白鳥のモチーフをつかったり
洞窟のようにアレンジして 本当に部屋の中に岩が天井にまで
おおいかぶさるように作られている部屋などが あるのです
それは まるで 舞台装置のようです

このように かなり 偏狂な城作りです
やたらに増築ばかりしてとにかく巨大なお城です
かれは お城の建設に 命をかけていた人です
そのために使ったお金ははかりしれず 当時の人々を
苦しめました
まぁ おかげで 世界の名物になったのですから
後世の人々は恩恵を受けたことになります

城作りに命をかけたルートビッヒですが
極めつけは彼が 別荘として建てたリンダーホフ城です
別荘のお城ですから
お城じたいは 写真の真ん中にみえる小さな建物です
小さいけれど 豪華絢爛です
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また庭がすごい!
とても美しい
白鳥城に行く人は多いですが
このリンダーホフにまで 足を運ぶひとは少ないようです
でも 必見です
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このリンダーホフには
デジカメの電池切れと撮影禁止のために
撮影できなかったのですがスゴイ場所があります
それは
この庭園の横に 山があり その中に 彼は洞窟をほりました
鍾乳洞のようなホールです
これはワーグナーのオペラ「ターンホイザー」を 聞くためだけの目的です
洞窟の中に 池が作られ その池に貝型の船を浮かべ
池の水中から 発電器をつかって 赤や青や黄色の
イルミネーションを洞窟の天井に映し出すという念のいれようです
白鳥を泳がせ 船にのって 楽団をいれ オペラを鑑賞していたんだ・・・と
思うと なんだか 恐ろしい気がします
ここは 凄かった 
今でも 忘れられない狂気を感じるところでした

彼の魂が うろうろしていそうな気がします

人間嫌いの王が心を通わせていた8歳年上の
いとこエリザベートのお城にも いきましたが
次回は モーツアルトの家をみにザルツブルグのいった話です
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by banban0501 | 2007-02-01 07:39 | ドイツ・オーストリア話 | Comments(0)

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2007年 01月 30日
ドイツ おとぎの街ローテンブルグ
ハイデルベルグからいわゆる古城街道をバスははしります
道路のあちらこちらに 古城がみえてきます
その数は 中途半端じゃない
誰も住んでいない廃墟のようなものから
人の住めそうなものまで・・・・・
でも 街道沿いのお城で住むために修復をされているのは 少しです
ネッカー河をはさんで 遠くにお城がみえています
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バスで2時間ほど走り ようやく目的地のローテンブルグに到着
この町は 城壁にかこまれた中世の町です
今も城壁が 完全なまま残っています
しかも 城壁に上って歩けるのです
片側は敵がきたときに防衛できるように穴があいていますが
片側は 城壁近くまで 家が建っています
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下の写真の家は一番古い建物で 人が住んでいます
それにしても 誰が考えたのか 
なんて美しいデザインの建物でしょう
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ローテンブルグの町並みは 本当に メルヘンです
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上の写真は一番有名な フォトスポットです
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建物の外観が昔のままに 保存されていますが
中は 近代的に改装されています
文字の読めない人たちのために目印になった
いろいろな お店の看板がとても素敵です
一番手前のマックのお店の看板も しっとりと街に溶け込んでいます
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レストランでランチを食べ お買い物もしました
行った季節が 9月でしたが
クリスマスグッズの専門店が ありましたので
入ってみたらば 地下に 巨大な クリスマスの世界が!
あまりの凄さに 入り口で立ち止まっていたら
アメリカ人と思える観光客が「オーマイゴッド!」と叫んでいたので
私は 普通に この言葉をきいて 嬉しくなりました
本当に「オーマイゴッド」のお店でしたが
写真は とっていません
変わりに お土産にかった クリスマスツリーをお見せします
これは 金属に 手で精密に描かれた 高さ15センチほどのツリーです
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こういう日本では売っていないクリスマスグッズが
一年中売っているそうです
その数が おそらく 何万点とありそうなほど クリスマス一色のお店でした

ローテンブルグからもう一つの中世の街 ディンケルスビュールにも
立ち寄って ミュンヘンへ到着したのは もう夕方

有名なホフブロイハウスのビアガーデンで 夕食を食べました
ここのビアハウスで 驚いたことは
小型の体育館のようなホールに 長いテーブルが ずらーーと並んでいて
そこにびっしりと座る お客にビールを運ぶウエイターたちが
なんと 一度に 20個ぐらいのビアジョッキを運ぶ姿でした
最大3500人の客が入れるという巨大なビアホールです
ものすごい喧騒の中で飲んだ
ビールと ウインナーの盛り合わせは
今でも 忘れられないくらい美味しかったですよ

余談ですが・・・・
以外にドイツでは ワインが良く飲まれます
北ドイツでは特によくのまれ 白ワインがとても美味しかったです
バスの窓からみると ブドウ畑も多かったです
ところで
ビールもワインもダメな人用に スピッチという飲み物があります
これは なんと コーラをファンタオレンジで割ったものです
コーラ色したファンタオレンジです
なかなか 美味しいです
これを街中で注文したら 目の前でコーラとファンタを
混ぜ合わせたそうです
日本に帰ってためしてみました
味の気になる方は ためしてみてください
この飲み物も ビールも ワインも値段は同じでした

ドイツのビールはゲルマニアの時代から飲まれているので
2000年の歴史があるそうです
1300もの小さなビール工場があり 
大規模工場はあまりないのだそうです
そうそう 国民一人あたりのビールを飲む量が一番多い国は
意外にもドイツではなく ベルギーです

次回は有名な ノイシュバンシュタイン城(白鳥城)の話です
ルートビッヒの狂気のお城です
まったくクレージーなお城でした
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by banban0501 | 2007-01-30 17:26 | ドイツ・オーストリア話 | Comments(0)

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2007年 01月 28日
ドイツ 大学都市のハイデルベルグ
ライン川から20キロの距離にある
ハイデルベルグは とても古い大学都市です

ハイデルベルグの人口12万人の4分の1が大学生です
昔は大学には 何年いても良かったそうです
随分年寄りの大学生もいたとか?
今は 制限が 加えられています
記憶は確かではありませんが 12年までOKだと聞きました
ですから 街は学生だらけということになります
でも実際うろうろしているは観光客ですが・・・・

そんなに沢山の学生を受け入れるドイツ最古の大学が
ハイデルベルグ大学です

旧市街にある大学の建物は 日本のように
囲いの中にあるのではなく 町並みの中に点在します
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大学の建物には 柱に金色の印があります
市庁舎や大学の建物だけでなく
ほとんどの建物は14世紀の古いバロック建築です
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ネッカー河をはさんで旧市街と新市街地があります
新市街は対岸の左手奥にひろがっていました
河にかかる橋は非常に古く900年はたっています

旧市街地もメインストリートには 沢山の観光客であふれていますが
少し路地をはいると もうそこは 静かで 馬車がやってきそうで
タイムスリップしてしまいます
下の写真のメインストリートに刃物のお店や本屋さんがたくさんありました
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この旧市街地のこ高い丘の上には
廃墟となったハイデルベルグ城があります
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下の写真はハイデルベルグ城の中ですが
塀のように見えるのは 本当は城の建物の外壁の一部でした
かろうじて残っている建物は修復されて博物館や
レストランなどになっています
私たちがいった時には ここで 結婚式を挙げるカップルがいました
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ところで ドイツの学校の話をすこし・・・・
学歴はあるに越したことはないが なくても別に 
というのがドイツ人の考え方のようです
イギリスと同じく 子供たちは 10歳くらいで全国統一テストを受けます
その成績が 良かったものは
将来大学に進める ギムナネウムという学校に進みます
そうでない子は 普通の中学に進学して その後は
職業訓練学校のようなところで実践的な勉強を3年して
仕事につくというのが一般的です

一方 ギムナネウムに進んだ子供は 
その成績によって いける大学が きまってきます

日本と同じく 医者と弁護士になるのが 高給とり生活への道のようです
そういう人たちは大きな一戸建てをたて
別荘で休暇をすごしボートをもってクルーズにいくのです

そうでない人たちは なにもかもレンタルで済ませます
そうそうッ!
大工さんの手間賃が恐ろしく高いドイツでは
自分で基礎から家を作る人たちもいるそうです
そういう場合は役所に出す設計図や書類は専門家のをだして
許可をもらいます
その通りに建てるためには 専門家のアドバイスも必要ですが
地面を掘ってまず地下部分から水がしみこまないように
休暇を利用して少しずつ建てるというからスゴイです!
そんなことが出来るのも レンガを積み上げてつくる西洋の家作りが
可能にしている点だと思います

手作りの家を楽しむ裕福でない生活でも
大金持ちの生活でも
学歴にこだわらなければそれでOKです
最近の日本人の考え方もこれに近くなっているように思います
ただ 10歳では 親は子供の将来への夢は一杯もっていますが・・・

ライン川クルーズとハイデルブルグを訪ねて一日がおわりました
次回は ロマンチック街道をバスに揺られて
メチャ美しい街 ローテンブルグにいった話です
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by banban0501 | 2007-01-28 09:13 | ドイツ・オーストリア話 | Comments(3)

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2007年 01月 26日
ドイツ ライン川くだり
ライン川は スイスバーゼルからオランダのロッテルダムまで流れる
全長1035.5キロの非常に長い川です
ラインという名前は リンネン(流れる)からきているそうで
1816年から 蒸気船にのってヨーロッパの人々は
両岸に建つ 朽ち果てた古城や 町並みを 楽しんでいたのです
そして 今も アウトバーンが沢山の船着場に延びています
写真の地図は ロッテルダムに近い部分です
地図の上奥に海があるのです
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私たちは下の地図の折り目の2つ目の中ほどの左側の
サンクトゴアの船着場へやってきました
そこから 対岸へ 船でいくのです
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乗り込んだ船から船着場をみています
町並みがとてもカワイイでしょう?
いかにもヨーロッパらしいです
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20分ほどのった後
対岸にあるサンクトゴアハウゼンの船着場にあるレストランでランチをしました
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ランチのためだけに対岸のサンクトゴアハウゼンにいったのではありませんでした
ライン川は めちゃくちゃ広い川ではありませんので
下る船と上る船の航路を分けているためでした

さて ドイツの定番料理の キャベツの酢つけに ウインナー
そして 豚肉料理にサラダ というものを頂いて
ライン川クルーズの船に再び乗り込みます
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クルーズ船の船内は レストランにもなっていましたので
ジュースなどを注文すれば 席に座れます
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でも たいていの人は オープンデッキにあるイスに座って
風に吹かれながら 両岸の景色を楽しんでいます
寒い季節は お奨めできません
さて 出発して しばらくするとローレライの岩が見えてきます
この岩に近づくために わざわざ 船を乗り換えたようでした
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イメージしていた岩とは 随分ちがいます
何故か気になる方は もう一度地図をみてください

上の大き目地図の上から二つ目の折り返し部分
をみたら見えると思いますが・・・・
ローレライの岩?は ぽこんと川の中にある岩では なくて
半島の先っぽです
ライン川はこのローレライの岩のある半島のようなところで
川幅が とても狭くなっています
それで 事故が 多かったので この岩の上の乙女に見とれたんだ・・と
言い伝えられるようになったとか・・・
これは 岩ではありませんでした
川に平行して細長く突き出た半島の 先端でした

ライン川の岸辺には 古いお城が 沢山建っています
修復されて ホテルや レストランになっているものもあります
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リューデスハイムの船着場で 降りて 町の散策もしました
街角の看板は 中世の時代のものが そのままかかっていますよ
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ヨーロッパの風景は 中はもちろん 改築されていますが
外は まったく昔のままなんです
その昔という単位が 新しくても300年というのですからスゴイです

豊かな水量をもったライン川の両岸はきっとこのまま
同じ姿を 残して ゆったりとした気持ちを 人々に
与えてくれることとおもいます

次回は ハイデルブルグの街です
ここには ドイツ最古の大学があります
クラシカルで伝統的な町並みです
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by banban0501 | 2007-01-26 09:12 | ドイツ・オーストリア話 | Comments(3)

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2007年 01月 24日
ドイツ アウトバーン
ドイツの誇る高速道路アウトバーンを
旅行中 何度も走りました

アウトバーンはベルリンを中心に
放射状にくもの巣状態で
ドイツ中に張り巡らされている高速道路なので
入るのも 出るのも とても簡単便利 しかもタダ
さすがに 走っている車は ベンツが多い

1927年に建設の案が立てられたけれど 経済的理由で
実現できなかったものを 1932年 ヒットラーが実施

当時25万人の労働者が 不眠不休で 建設に従事して
ドイツの国民のヒットラーへのプロパガンダとしても利用されました

ヒットラーは 戦車が2台並んで走行できることを条件と
したために 広くて ゆたりした道路ができました

戦時中は 戦闘機の滑走路にもなったとか!

総全長 10500キロ
普通の道路とアウトバーンの識別は 道路標識の色だけ
一般道路は 黄色
アウトバーンは 青で
平原を走る アウトバーンには どこからでも 入れます

はいったら すぐに時速120キロの世界です
日本じゃ 入り口さがすのも大変です

サービスエリアもありガソリンスタンドや売店やレストランも
トイレには トイレおばさんがいて
当時で1マルク(60円)コインをわたしました

でも・・・・
ほとんどの男の人は サービスエリアの芝生に向かって10人くらいで
立ち○○している人が多かったです
ドイツ人はケチなのかも?
いえケチだと思います
この後 いろんな国へ旅行にいき
高速道路のサービスエリアを利用しましたが
どこの国でも 堂々と立ち○○している男性を見なかったです
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さて日本を朝発ってオーストリア航空でウイーンについて
今度は国内線に乗り換えてフランクフルトに夜遅くに到着です
まる1日かかる遠いところです
翌日フランクフルトからバスはアウトバーンにのって
ライン川クルーズのためにサンクト・ゴアに向かいました

ライン川下りはスイスのバーゼルから オランダのロッテルダムまで
全長1320キロのどこからでも 楽しむことができます
沢山の船着場がありますよ

では次回は ライン川下りです
写真は ライン川クルーズの時にかった地図です
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3つの国を流れる ライン川は 1枚の写真には地図だっておさまりません
買った地図は 写真の3倍の長さです
この川の中で 一番有名な ローレライをみにいくのです
川の両側に 中世の町並みとお城をみながらの旅の話です
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by banban0501 | 2007-01-24 00:15 | ドイツ・オーストリア話 | Comments(0)

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2007年 01月 22日
ドイツ バーデンでの驚きのニュース
ドイツとオーストリアにいったのは もう 随分前の2001年9月のことです

フランクフルトからライン川クルーズ
ハイデブルグ~ローテンブルグ~ミュンヘン
インスブルグ~ザルツブルグと 
ドイツとオーストリアを
いったり来たりして最後はウイーンにもどって帰国
という9日間のツアーでした

ヨーロッパは ツアーで回るのが 一番簡単です
言葉のもんだいが あるのと どの観光地も移動が大変です
せっかく12時間のフライトを我慢していくなら
いろいろ周りたいと おもってしまいます

さて この旅行の一番の思いでは・・・・・

この旅行にいった時にアメリカの同時多発 9・11のテロがありました
下の写真はドイツのバーデン・バーデンでのホテルです
ここは ウイーンから車で1時間のところです
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ここで 泊まったときに テロがありました
ホテルに到着して 添乗員さんが チェックイン手続きをしている間
ロビーでまっていると ロビーのテレビに
大勢の人が 集まっています
背の高い 欧米人の後ろから かろうじて画面を覗くと
世界貿易センター双子ビルが見え 黒い煙が たっていました
遠めでみると 煙突状態でした
だから 初めビルだとは 思えなかったです
そのときには まだ 二ツ立っていました。

みんな画面を見ながら 何か必死で話しています
テレビの声は ドイツ語で まったくわかりません
ただ 画面に「Amerca was attaced」とでているのだけが 確認できました

いったい何があったのだろ?と思うばかりで どうしようもありません

添乗員さんにも 事情が全く わからなかったようで
「アメリカで大変なことが おこったということ以外わかりません」と。

しかたが無いので 部屋から日本へ国際電話をしました

日本は時差7時間で 真夜中だったと思いますが
子供が まだ 起きていて 興奮しながら 
「テロにやられてビルが壊れた もう一つのビルも
壊れてる」と・・・・・
本当にビックリしました

このときの簡単な子供の説明を5分ほど聞いて
電話代を2000円ぐらい払ったのも 思い出の一つです

私たちの観光には 直接関係がないということで
翌朝 予定通り 観光がありましたが
どこへいっても 黒い旗を 立てて 弔意を表していました

そんな思い出がまず一番にくるドイツ・オーストリアの話を
しばらくしていきたいと思います

私の旅行が昔の話でも ヨーロッパの観光地は全然かわらずに 
これからも ずっとずっと
そのままの状態だと 思えるところが ヨーロッパです

さてバーデンというのは「温泉」という意味をもっている言葉です
ドイツには ○○バーデン という名前が いっぱいあります

ドイツ人の普段の生活では 普通の欧米の人と同じで
普段の体の汚れは シャワーで 洗い流します

でも休暇のときには 温泉保養地へいって 温泉にはいってゆったりする
というのが 昔からのドイツの伝統的休暇の過ごし方だったそうです

温泉療法というのも 国が認めているので
医師の処方箋が あれば 保険の適用も受けられるそうです

温泉地は 貴族の社交場でも あったそうです

因みにドイツ人はフランス人同様 休暇には とてもお金をかけます

収入の1割りは 休暇のための費用にあてるそうです
6週間の休みをとり あちらこちらの移動しながら 観光したり温泉にはいったり。

お金持ちは ホテルにとまったり キャンピングカーをつかったり
お金のない人は レンタルのキャンピングカーで 出かけます

6週間の休みは法律できまっているそうですから
まとめて いっきに使う人や 半分ずつつかうひともいます
また それとは 別にクリスマス休暇も ありますから
ドイツ人の 労働時間は 大変短いそうです
そのかわり無駄なく集中して働くお国柄だそうです
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写真は バーデン・バーデンの街の広場です
この広場の周りに 公衆浴場や教会が ありました

余談ですが
ドイツ人は休暇いがいにお金をかけるのは 家の家具です
一戸建てに住んでも家賃を払って
収入の10パーセントを家具の購入にあてるそうです
足らないときは 家具貯金というものまで するそうです
家具に凝るとういうのは ドイツだけでなく ヨーロッパの伝統かもしれません
ヨーロッパ家具がすばらしいのは この為でしょうね

ちなみに お金をかけないのは 食べることと着る物です
そこが 他のヨーロッパの国とちがうところです
キッチンが汚れるのが嫌で オーブン料理か 煮込み料理を
包丁では なく ハサミで 食材をきってつくるそうです
なんでも ハサミで きれるように
それで ドイツの 刃物は 優れているのだそうです

そんな ドイツのこぼれ話も いれていく旅行記です
次回は ドイツの アウトバーンの話にします
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by banban0501 | 2007-01-22 17:05 | ドイツ・オーストリア話 | Comments(0)

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